FC2ブログ

尾張日下部の歴史と伝統 (草川平次郎のブログ)

愛知県稲沢市の草部神明社(日下部神明社)が伝える歴史と文化

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

尾張六角堂の凄い由緒と歴史2 (小野篁の地蔵尊に平家が六角堂を奉納)

六角堂1 700
六角堂2 700
六角堂3 700
六角堂4 700 
;


○閻魔大王との仲介人と伝わる「小野篁(おののたかむら)」による地蔵菩薩像が尾張六角堂・長光寺の始まり(平安時代初期)。・寺伝によると、平安時代初期の仁寿元年(851年)、地蔵信仰に厚い「小野篁(おののたかむら)」が陸奥の国に納める地蔵像を彫り、洛東金剛院の大律師業恵に託して陸奥に下る途中、尾張の草部荘(今の愛知県稲沢市日下部周辺)に駐杖した際、「我はこの国に縁あり。止りて永くこの国を守らん。」との悪夢があり、草部の路傍に安置。これが尾張六角堂・長光寺の始まり。
○小野氏始祖の母は尾張出身であり、尾張は小野篁にとって特別な地域であったと思われる。
○地蔵信仰は、平安初期の小野篁による地蔵菩薩像(六体)を、その後平安末期に平清盛が京の街道口に六角堂を建てて一体ずつ分置して祀ったことから庶民に広く広まった。
○平頼盛(清盛の弟)が、自身の病全快に感謝し六角堂を奉納、地蔵尊を安置。平頼盛は、平家滅亡後も一門で唯一、生き延び、子孫繁栄。
○鎌倉時代初期に、熱田大宮司一族が現本尊(鋳鉄地蔵菩薩立像)を造顕。国家の異変を事前に知らせる「汗かき地蔵」として広く信仰される。
○鎌倉幕府滅亡後の1336年、足利尊氏が戦で上洛する際、途中で尾張六角堂に太刀を献じて武運を祈願、念願が叶って勝利した後、本六角堂を祈願所に設定。
その後、足利尊氏が将軍宣下を受けた1338年に山門などを奉納。織田氏、徳川家康、尾張徳川氏も厚遇。
スポンサーサイト

Comment

承認待ちコメント 

このコメントは管理者の承認待ちです
  • posted by  
  •  
  • 2015.06/26 13:29分 
  • [Edit]
  • [Res]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

ご案内

草部神明社HPへの訪問者

H23年9月24日以降分

最新記事

最新コメント

プロフィール

草川平次郎

Author:草川平次郎
草部神明社の社号の「草部」と住所の「日下部」、どちらも「くさかべ」ですが、この名は神武天皇の東征の地の名からきています。草部神明社の社号は、大和朝廷による国家建国における尾張地方の役割を今に伝えており、今後とも後世に伝え続けていくため、資料の整備を進め、また広く紹介していきたいと思います。

右サイドメニュー

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。